prologue

 思い出したくはない記憶だった。
 あれはまだ小学二年生の夏の事。
 いつものように近所の従兄弟や友人たちと近所の公園で遊んだ後の帰り路で、私たちを呼び止めたのは腰の曲がった老婆だった。
 真っ赤な夕焼けに染まる世界の中。衣服は黒尽くめで、白く長い髪で顔のほとんどを隠している。瞼は固く閉じられていて、世の中のなにもかもを拒絶しているかのように何も映さない。まるで別世界の住人のような不思議な空気を持った老女だ。彼女は齢既に百歳を超えているという都市伝説もある、この地域では有名な咒師まじないしだ。
 前触れなく、まるで幽霊のようにふらりと人の前に現れる。遠巻きにされていてあまり良い噂を聞かない。けれど、咒師に声を掛けられた人は憑き物が消えたように運命が変わるのだと専らの噂だった。所謂、地域特有の『霊媒師』のようなものだ。昔は咒師ではなくて、もっと他の呼び名で呼ばれていたらしい。
 初めてその噂を耳にした時、きっと本物の魔法使いなのだと密かな憧れを抱いていた。当時の私は占いが好きな、純粋な女子小学生であったからだ。

「男女の双子は──したもの同士と言うけれど。こびり付いたような血の匂いがするね」

 いつか会ってみたいと思っていた咒師は眉間に皺を寄せて、あからさまに私を疎んでいた。これまでにも自分が男女の双子という事で周囲から多少目立ったり、珍しがられる事はあったけれど、何もしていないというのに他人から凄まじい程の嫌悪をぶつけられたのは生まれて初めての出来事だった。その上、よくわからない難しい言葉を使われて小学生の私はただ困惑したまま首を傾げる事しか出来ずにいた。

「じ、ょ……?」
「ねえさん」

 隣にいた弟がすっかり青ざめた様子で、一刻も早くこの場から去ろうと手を引く。
 小学生の頃の弟は声が高くて顔立ちも女の子のようで、揃いのショートボブの髪型も、背丈も同じくらいだったのでよく姉妹に間違われていた。にも関わらず私たちを男女の双子だと言い当てた老婆はなかなか鋭い、と感心してしまった。
 理不尽な嫌悪を向けられてもまだ好奇心を抑えられない私とは真逆に、日頃何を言われても動じない弟は珍しく他人に不快感を表している。『早く行こう』と帰宅を促す弟を横目に私は立ち向かった。

「何ですか? いきなり」
「今まとわりついてるそれはね、呪いだよ」

『呪い』と言われた途端、私の手に弟──松井の震えが伝わった。

「ねえさん。もう、いいから」

 何故、初対面の咒師が私達に厳しい言葉をかけるのか。何故普段動じない松井が今にも泣きそうなのか不可思議な状況に困惑しながらも、私は双子の弟を庇い立ちはだかった。

「わたしは、呪われてなんかいません」
「……愚かだね」

 『呪い』という仰々しい言葉は、何故だかわからないけれど松井に向けられている気がした。
 世界で一番大切な弟を貶されたようで心底腹立たしい。自分が暴言を浴びせられるよりも腹の底から怒りが沸き上がってきた。恐らく、本気で怒りを人に向けたのは人生でこの時が初めてだったように思う。生まれて初めて怒りで身体が震えた事をよく覚えている。そんな私を見据えて咒師は呆れたように吐き捨てると私達に背を向けた。

「せいぜい、過ちを繰り返さないようにする事だ」

 意味深な言葉を吐き捨てて、それから二度と私たちの前に姿を表すことはなかった。老婆の言っている事は全くと言っていい程わからなかったが、密かに憧れを抱いていた人物に疎まれ、ついでに喧嘩を売られた気がして、私は失望と怒りを覚えた。

「なんなの? あのおばあさん……」

 それよりも心配なのは、様子がおかしい松井の事だ。

「松井はわかったの? あのおばあさんの言ってること」

 私が話しかけると松井はびくりと肩を震わせた。
 珍しく動揺しきった松井は、悪さをして兄や親に怒られている時の自分のようだと思った。松井は私よりもずっと頭がいいから、何かを感じ取ったのだろう。

「……双子が縁起が悪いと言われていたのは、事実だよ。でもそんなのは大昔の、根拠のない迷信だ」
「私ね、今まで松井と姉弟で悪い事なんて、一つもなかった。いつも松井がそばに居てくれるから安心するの。だから、気にしちゃだめだよ」
……」

 松井は私の名前を口にしながら、ただ静かに目を閉じた。
 それから『すまない』と謝って、綺麗な瞳から涙を流す。
 謝る必要なんて何一つないのにどうして悲しい顔をするのだろう。そう思いながらも私は、弟の涙を拭い続けた。