また来年も、

「なんでそこにいるか、当ててやろうか」
「間に合ってます」

 柔らかな日差しの下。豊前江はニヤニヤとしながら私がいる方向を見上げていた。
 今、私が居るのは本丸の中庭の桜の幹の上。たまに山姥切国広が物思いに耽っているスポットである。二股に分かれた幹の境目が人一人が座るのに適しているが、私のような特別な身体能力もない女一人が下りるにはかなり勇気のいる高さだ。そんな満開の桜の中で、落ちないよう枝に掴まりながら、まあまあ必死に体勢を維持している。

「カブトムシみてーだな」

 爽やかに微笑みながらストレートに失礼な事を言われたが、ここで頼りになるのは豊前しかいないので苛立ちは胸にしまった。

「五虎退の虎を追いかけて下りられなくなったんやろ? それで虎は先に下りていった」
「……」

 豊前の言うことは一字一句事実である。まるで最初から見られていたかのような口ぶりだ。この事が五虎退に知れればきっと責任を感じてしまうだろうから、誰にも見られないように下りるつもりだったのに。

「ほら、いつまでそこにいる気だ?」

 やれやれと言いたげに手を広げた。下りてこい、ということらしいが危険ではないだろうか。短刀や子供の体重なら平気だろうが、成人女性の質量ではいくら豊前とはいえ受け止めきれないだろう。

「いいから。祢々切丸呼んできて」
「……ふーん。俺じゃ頼りねーって?」
「別にそう言ってない」
「俺の練度くらい、主なら知っちょるやろ?」

 練度の問題なのだろうか。戦闘における彼の強さは理解しているが――身長も高く体格も良い祢々切丸の方が安全ではないか、という意味だったのに豊前のプライドを刺激してしまったらしい。

「ほら。受けとめてやっから」

 両手を広げて準備万端姿勢をとる。受け止める気満々と言った表情にますます躊躇っていると、向こうから短刀達の声が聞こえてきた。もう腹を括るしかないのか。幹を掴んでいた手を離して、身体を投げ出した。

「よっ、と。捕まえた」

 豊前がしっかりと受け止めてくれたおかげで無傷で地上に帰ってくることが出来た。安堵しながらもまだ心臓の鼓動が激しい。

「な、余裕だったろ?」

 華奢とは言えない私の体を受け止めてもびくとも動かない豊前は何故か勝ち誇ったような顔をしている。体格の良い男士に見慣れている事もあり細身に見えるが、こうして触れていると結構体格が良い事に気が付いてしまった。
(それもそうか。ほぼ毎日戦ってるんだから)
 刀剣男士は普通の人間の腕力とは違うのだ。――ところで、いつまでこうして抱き留めた体勢のまま下ろしてくれないのだろうか。

「ありがとう。もう下ろしていいよ」

 いくら力があるとはいえ、自分を持ち上げたままでは体勢がつらいだろう。そう思って声を掛けたが、豊前に反応はない。

「豊前?」
「……」

 目と鼻の先にある豊前の顔に普段の笑顔はなく、いつになく真剣な顔つきをしていた。

「あんまり危ない事すんなよ」

 そう言って静かに私を諭す豊前は、子供を叱る父親のようだった。  いつもは同年代のように接する間柄なのに、何十歳も歳上の男性に叱られているような気がした。彼の生まれは数百年も前だから自分よりもずっと年上である事には違いないけれど。まるで別人の男の人のように思えて、すっかり委縮してしまった。

「……気を付けます」
「あんたは俺と違って替えがきかねーんだ。自分のこと大事にしろよ」

 豊前の言うことは最もだ。かすり傷一つ負っただけで大騒ぎされる程、この本丸には過保護な刀が多い。審神者である私を大事に扱ってくれる気持ちは痛いほどに伝わった。けれど、本人は何気なく口にしたであろう言葉が、私の心に棘を残した。

「ありがとう。でも……それは確かに豊前の同位体は居るけれど、『替えがきく』なんて言わないで」
「けど、俺は……」
豊前あなたの代わりなんていないんだから」

 目の前の彼は私が顕現させた最初の豊前江だ。例え新しい豊前江を迎えたとしても別の存在と認識するだろう。
 そもそも、豊前は自分の同位体の事をどう思っているのだろう。
 ちらりと様子を窺えば、思わぬ言葉を投げかけられたとばかりに豊前は深紅の瞳を丸くして閉口する。互いに何も言わず、ぎこちなくなってしまった空気の中、賑やかな声が駆け足で迫ってきた。

「あー! あるじさまとぶぜんさん!」
「主君たちはお散歩ですか?」
「……あ、あぁ、花見だよ。ほら。この方が近くで見れんだろ?」

 今剣と秋田藤四郎、前田藤四郎と平野藤四郎が傍に寄って私たちを見上げる。豊前は私を抱いたままそんな嘘をついた。本当の事は言わずに誤魔化してくれたらしい。すると短刀達は納得したように頷く。

「ぼくもこの間岩融に肩車してもらって、お花見しました!」
「ふふ。そうしていると姫様みたいですね」
「な、何を言ってるの前田」

 前田の言葉に顔が熱くなる。今まで意識しないようにしていたけれど、これは所謂”お姫様抱っこ”と呼ばれる抱き方だ。前田も秋田も私を見上げて微笑んでいるが気恥ずかしさが込み上げてくる。

「ははっ、淑やかなお姫様は木に登ったりしねーよな」
「…………」
「いてっ」

 私にだけ聞こえる声で揶揄う豊前の肩をぎゅうと抓ると、大袈裟に肩を揺らした。
 しばらくの談笑の後今剣たちがその場を去ると、ようやく地面へと下ろしてくれた。久々の大地を踏みしめる感触に感動する間もなく、豊前の掌が髪に触れる。
 
「来年もこうして花見すっか?」

 私の髪についていたのだろう。花弁をひとひら手にしながら、豊前は頬を桜色に染めていた。

20230414/(2020頃の出土品)