余裕なんてない

 長閑な春の昼下がり。畑仕事を終えた豊前江は執務室のドアを叩く。桑名に頼まれた肥料の発注についてのメモを眺めながら返事を待つと、ドアの向こうから返ってきたのは篭手切江の声だった。
 今日の近侍は篭手切か、と思いつつ扉を開くとその光景に思わず目を見開いた。

「……仮装大会か?」
「あ、豊前。畑当番お疲れ様」

 審神者──この本丸の主であるが振り向く。仕事着である和装とは全く違った衣装に身を包んでいる。脳裏に過ったのは、小笠原の伯爵家に居た頃に見た女性用の洋装。見慣れない瀟洒な着物に思わず目が釘付けになってしまった。

「現代の晴れ着ですよ。ぱーてぃどれすというものです」

 部屋に居た篭手切江が説明する。
 篭手切の傍には複数の着物が並べられていた。それらはのために選んだものらしい。色とりどりの着物や洋服はどれも華やかな彩りだ。どれも慶事のための衣装のようだ。
 審神者の衣服に口煩い刀は複数居るが、晴れ着といえば篭手切江だ。祝い事があれば似合いの着物を着付けするもはや習慣のようなものがある。しかし、審神者の就任日祝いは先日終えたばかりのはずだ。

「──ああ、友達が祝言あげんだっけ?」
「そう。結婚式に着ていくの」

 桜色に色付いた唇が弧を描く。よく見ればいつもと顔が違う。普段と化粧を変えているらしい。頬はいつもより桃色に染まり、目元は螺鈿のようにきらきらと輝いている。髪も丁寧に結い上げられていて、小さな花の耳飾りが揺れている。普段の質素な衣装とはまるで別人のようだ。

「私は何でも良いんだけど……」
「だめですよ主。これは礼装なのですから。適当に選んでは私と燭台切さんが許しません」
(……凝るからな篭手切と燭台切は~)

 燭台切は不在だが、この二人は審神者を着飾ることに並々ならぬ情熱を注いでいる。主は彼らの熱意に従うほかないといった様子だ。

「やはり主には暗い色よりも華やかな方が似合います。ですよね、りいだあ」

 審神者が今身に付けているのは桜色のワンピース。普段身につけている仕事着の着物に比べれば断然露出が多く、身体の凹凸が目立つ。首から肩にかけてのレースから透けて見える肩や腕に思わずどきりとして、目のやりどころに困る。
 審神者から目を逸らしたところで、先程から篭手切が何かを期待するような視線を向けている。『りいだあ、今ですよ』と言っている目だ。
 珍しく着飾った恋人を前にして、何か一言かけてやれという圧を感じる。しかし、上手い褒め言葉は何一つ浮かんで来ない。

「…………透けてんぞ」
「そういうのだよ」「そういうのですよ」

 篭手切と二人に同時に突っ込まれ、豊前は口を噤んだ。

「透けてるといいますか、これは『れーす』ですからね」

 篭手切が補足する。感想と言われても、今の所透けてる以外の言葉が出てこないのが率直な感想だ。際どいというわけではないが、審神者の時代の流行なのだろう。少し無防備すぎやしないだろうか。粧しこんだ姿を見るとなんだか心許無い気分になる。

「……似合わない?」

 の顔が不安そうな顔に変わる。似合わない、というようなことは無い。

(……綺麗に決まってんだろーが……)

 ──なんて、二人きりならまだしも、人前で言えるわけがない。こんな顔をさせたかったわけじゃない。それなのに。

(らしくねーだろ、んな言葉は……)
「そんなことはないよ。とても美しいね。よく似合っているよ」

 豊前の代わりに執務室に響いた褒め言葉は、いつの間にか部屋に現れた松井のものだった。うっとりと目を細めながら、の手を握り見つめる。

「それに、どれすの色が淡い赤というのもいい……。まるで、桜の精のようだね」

 松井の言葉を受け、の顔がみるみる紅潮してあっという間に茹で蛸のような姿へと変わった。それと同時に松井の顔色も良くなってゆく。その隣で篭手切は先程からうんうんと頷いている。
 これが正解だと言うのなら、自分には出来ない芸当だと思った。次から次へすらすらと甘ったるい褒め言葉が出てくる松井の口はいったいどんな作りになっているのだろう。同じ刀工から生まれたはずなのだが。

「けれど……大丈夫かな。式には新郎の友人も多く参列するのだろう?」
「!」

 松井の一言に思わずぎくりとする。

「あなたを見て、近寄ってくるかもしれないね。美しい花に誘われた……」
「待ち」
「……なんだい」

 遮ると、何食わぬ顔で松井が豊前を見る。

「俺も行く」

 そう口にした途端、部屋に沈黙が訪れた。

「……豊前は式に招待されてないから無理だよ?」
「んな事はわかってんよ。護衛だ護衛」

 審神者が本丸を離れる時は、原則として最低一振刀剣男士を連れなければならない。それは皆も理解しているはずだが、三人は何か物言いたげな表情で豊前の方向を見ている。どちらかと言えば、歓迎されていない様子だ。

「えー……騒ぎになりそう」
「? なんでだよ」
「確かに……」
「だろうね」

 主の意見に篭手切と松井が同調する。三人は理解していて、理由がわからない豊前はただ一人疎外感を感じた。

「それに、同行するのは前田でしたよね」
「構いませんよ」

 どこからともなく現れた前田藤四郎が、全てを理解したような顔つきで答えた。もはや執務室のドアなどあってないようなものなのだろうか。──恐らくドアの外で聞き耳を立てられていたようだ。

「そういった方々から主君をお守りする事については、豊前さんの方が適任でしょうから」

 茶菓子を卓に置きながら、一見子供のような見た目にそぐわぬ、達観したような表情でくすりと微笑んだ。

「──ねえ、結婚式ってそんなに物騒なものだったっけ?」


◇◇◇


「そろそろ時間か?」

 久々の現世に降り立った私は、隣に居る豊前を見上げた。スーツに身を包み、縁眼鏡をかけている。篭手切が施した変装として赤い瞳を隠す黒のカラーコンタクト。前髪を下ろしてもその顔立ちの良さは隠しきれていない。
 単なる護衛と送迎係の豊前が身なりを整えているのは、式の最中に何が起きても紛れ込めるよう違和感のないように──との事だが、若干篭手切の趣味が入り交じっている気がする。
 シンプルな衣装が、豊前の華やかな空気を際立たせている。式場である豪華絢爛なホテルが良く似合う品の良さに、すれ違う人々が豊前に釘付けになっている。さすが元伯爵家にあった刀と言ったところだ。

「なんだ。見惚れたか?」

 豊前は私の視線に気付くとニッと口角を上げた。そんな豊前の表情は、外見年齢よりも幼く見える。
 実年齢は三桁歳だけれど。
 見惚れたかと言えば正直にいえばその通りなので悔しい。

「じゃあ、俺は部屋で待機してっから、楽しんで来いよ」
「うん……」

 ──自分だけが楽しんでも良いのだろうか。
 なんて、考えたって仕方の無い事だけれども。時間転移までしてホテルにこもりきりだなんて、なんだか申し訳ない気分になる。
 わざわざ付き合ってくれているのだから、帰りには豊前を連れてどこか美味しいものでも食べに行こうか。そんな事を考えていると、視線を感じた。

「あら? まあまあちゃん?、久しぶりねぇ」

 現れたのは親友もとい新婦の母親だった。子供の頃からよく知っている、家族ぐるみで仲の良い間柄である。
 挨拶を交わすと、まじまじと見られ緊張が走る。審神者は疚しい職業では無いのだが、仕事の内容につっこまれたらと思うと気が気ではない。

「しばらく見なかったから見違えちゃったわ~」
「おば様もお元気そうで」
「ええ!そんな事よりちゃん、今は政府にお勤めなんですって? 凄いわねぇ~。なかなか家にも帰ってこられないんでしょう?」
「え、ええ」

 ──まさか私の就職先が二二○○年代の未来で、歴史改変を目論む時間遡行軍と日夜死闘を繰り広げているとは思いもしないだろう。
 この時代にいる親兄弟も友人も本当の事は知らない。時の政府が色々と誤魔化してくれて政府の職員だなんて宣ってはいるが、皆を騙しているような罪悪感がある。そんな事に気が逸れている間に、おばさんの世間話に巻き込まれる。娘の結婚式と言うだけあって気分も高まっているのだろう。日頃血腥い景色ばかりを目の当たりにしているせいか、そんな光景すらも幸せそう心が和む。
 ふと、おばさんの視線が豊前に向いた。

「あら、もしかしてちゃんの彼氏さん?」

 いっそう瞳を輝かせて交互に視線を送られる。
 昔から知るおばさんにこういった反応をされるのはなかなか気恥ずかしいものだ。
 恋仲ではあるが、まさか誰かに紹介する事になろうとは思わなかった。もし根掘り葉掘り素性を聞かれたら、の用意が全くない。
 内心慌てふためく隣で、豊前は一歩前に出ると、深々とお辞儀した。

「ご挨拶が遅くなり失礼いたしました。豊前と申します。この度はおめでとうございます」

 私がもたついている中、挨拶を交わす豊前の姿に目を疑った。

(……だ、誰──……?!)

 こんな豊前の姿は未だかつて見たことが無い。
 ──というか、この刀……敬語を喋れたのか。
 いつも北九州の方言混じりの気さくな言葉遣い以外聞いた事がない。思わず目の前に居るのが本物かどうか豊前江の顔をまじまじと眺めてしまった。
 そういえば豊前がかつて居た家は、礼儀作法の宗家だと桑名が言っていたような気がする。姿勢もお辞儀の仕方もお手本のようにきれいだ。

「あら、まあ……」
「私はの送迎係ですので、これにて失礼いたします」

(このひと本当に豊前江なの……?)
 完全に余所行きの顔をしている豊前の姿に不覚にもときめいてしまったのでさらに悔しい。──何故その礼儀作法を主の前で見せてくれないのかは些か疑問なのだけれども。
 ちらりとおばさんの方向を見れば、まるで王子様に傅かれたかのような、乙女の瞳に様変わりしていた。

 数十分後、親族の厚意により『送り迎えだけなんてもったいない!』と引き留められ、豊前も式に参列する事になった。
 ホテルに併設されたチャペルに移動すると、そこは純白の大理石で造られた厳かな空間だった。職業柄祭壇は見慣れたものだが、幸せにつつまれた光景はなんだか新鮮な気分だ。これから親友の結婚式が始まるとなると、何だか不思議な気分になる。幼い頃からずっと一緒で、ここ暫くは顔を合わせていなかったから尚更そう感じるのかもしれない。

「何か……わりーことしちゃったよなあ?」

 隣の席に着いた豊前は、私以上にそわそわとした様子だ。

「いいんじゃないかなあ……本人がOKしてるなら」

 本来は結婚式に飛び入り参加だなんてマナー違反甚だしいが、式の主役である新婦のとその母親が『の彼氏なら一緒に参列して欲しい』と言ってくれたのだ。さすがの豊前も心許無い様子だが、隣に豊前が居てくれると安心する。
 問題は豊前に注がれる、女性たちからの熱い眼差しだ。


◇◇◇


 主が生まれ育った時代の祝言は煌びやかなものだった。刀であった頃に見てきたものと比べれば、篭手切の言うすていじに近いかもしれない。
 披露宴の最中、は主役の二人に釘付けで、終盤には鼻を真っ赤にしながら瞳を潤ませていた。
 俺はというと、主役そっちのけでそんなの姿をずっと見ていた。
 新郎新婦には招待されていないにも関わらず席に出席させてくれた事への礼を言うと、『お礼なら、あの子を幸せにしてあげてね』と耳打ちされた。その一言だけで、のいい友人だという事がわかる。
 新婦の幸せそうな表情に、思わずの姿を重ねる。
 刀剣男士の自分には結婚披露宴を開くことも、彼女らを呼ぶこともできないだろう。
 は今、友人たちと記念撮影をしたりと水入らずで喜びをわかちあっている。が同じ人間に囲まれて楽しそうにしている様子は、きっと本来あるべき姿なのだ。

(ここに置き去りにしていった方が幸せなのかもなぁ)

 他の本丸の審神者との交流はあるものの、私的な交流は一切ない。こんのすけという管狐を除けば、全て刀の憑喪神。
 主は本丸でただ一人の人間。
 この世界では自分だけが異物。
 ──主も、刀の自分ではなく、この時代の人間と一緒になったの方が幸せなのではないだろうか。ふと、そんな思いに駆られる時がある。

「ふふ。楽しそうねあの子たち」

 自分に声をかけたのは、新婦の母親だった。

「……そうですね」
「ところで豊前さんは俳優さんか、芸能人なのかしら?」
「いえ、彼女の──。同僚のようなものです」

 『彼女の刀』だと答えた日にはいったいどんな顔をするのだろう。すると女性は「まぁ豊前さんもエリートなのね」と感心している。

ちゃんは娘の幼なじみだからねぇ。もし誰もいないようだったらいい人を紹介しようと思ってたのよね。うちの息子の同僚の方なんだけれど」
「は……」

 女性の一言に、血の気が引くような感覚がした。

「ふふ、大丈夫よぉ! まさかこんな素敵な彼氏さんが居るなんて! 二人がお似合いで良かったわ余計なお節介はいらなかったわねぇ~!」
「は、は。そうですね……」

 予想していた出来事だというのに、いざ現実を突き付けられると胸の鼓動が不協和音を奏でるようだった。適当な相槌を打って取り繕ってはみたものの、上手く笑えた自信が無い。


◇◇◇


 これは予想外の出来事だ──。
 久々に会った友人たちからの質問攻め(豊前に関する)にあい、化粧直しと言って化粧室に逃げこみ、ようやく撒いたと思った矢先の出来事だった。

「もし良かったら連絡先交換しませんか?」

 廊下で声を掛けてきたのは、新郎の職場の同僚と名乗る男性。
 見るからに堅実な好青年といった雰囲気の人物だった。審神者業が長すぎて、刀の付喪神ばかりと話していたせいか、すっかり同世代の人間、それも異性との接し方を忘れてしまったようだ。突然のアプローチに怯んでしまう。

「……すみません。いきなり声を掛けてしまって。一緒に写真撮ってる時、可愛いなって思って」

 例えるなら堀川国広を青年にしたような清潔感があり、にこりと笑う男性には悪意の欠片はない。すっかり気圧されてしまったが─。勿論私には心に決めた人がいる。元より誘いに乗るつもりは無いが、当たり障りのない断り方を脳内で組み立てていると、聞きなれた足音が近付いてきた。



 視線の先には豊前がいた。
 これはもしかして修羅場というものでは──。

「弟さんですか?」

 目の前のイケメンリーマンは無垢な眼差しで私に問う。

「いえ、私の……」
「わりーけど、口説くならほか当たってくれ」

 変装用のメガネを外し、ぐしゃぐしゃと髪を戻しながら、威嚇とも取れる言葉を投げかけた。
 さっきのお手本のような礼儀正しい挨拶はいったいどこに、と思いつつ豊前は強引に私の手を引いてその場を離れた。極力表には出さないようにしているが、豊前の表情は怒気を孕んでいる。
 手を引かれて、ホテルの廊下をつかつかと歩く。連れ込まれた先は誰もいない親族控え室だった。テーブルには誰かが飲み残した桜茶が残っている。そろそろ披露宴会場に戻らなければ、不審に思われるだろう。

「ぶぜ、」

 口を開くと、それを遮るように閉じた扉に追いやられた。何度見ても慣れない、華やかな顔立ちが真正面に見据えられる。フォーマルスーツのお陰でスタイルの良さが一層引き立っている。
 カラーコンタクトで黒くなった瞳が、どこか寂しげに揺蕩う。

「……結婚しよ」
「う、うん─────………………ん?」

 思わず頷いてしまった。
 が、今の言葉は重要な一言だったかもしれない。
 今後の人生を左右するような、物凄く大切な。
 我に返った豊前は大きく口を開けたまま、まるで時間が止まってしまったかのように硬直してしまった。

「……待…………俺、今何ち言うた」
「………………け、『結婚しよ』……?」

 目と鼻の先にいる豊前の表情は、思い切り『先走った──』というような顔をして、ついには頭を抱えてしまった。

「…………いや、そうじゃねー……」
「え、違うの?」
「順番が!」

 ようやく顔を上げた豊前の顔は耳まで真っ赤だった。それから、私を上から下まで眺めたかと思うと、『……格好つかねぇ……』とため息をついた。
 目まぐるしく変わる表情。その姿は先程とはまるで別人だ。いついかなる時も突っ走る姿は豊前江らしいが、ここまで余裕のない彼の姿はいっそ微笑ましく思えた。

「──……こういった人並みの、は無理かもしんねーけどさ。……俺は、これからもずっとと共に在りたいと思うよ」

 不器用ながらも必死で紡ぐ言葉。燃えるように赤い豊前の真摯な眼差しを見つめて、この刀に出逢えてよかったと、心からそう思えた。


◇◇◇


 それから豊前は披露宴終了まで、私の傍を片時も離れなかった。後に友人からは『めちゃくちゃ威嚇してたね』との感想を貰った。さながら番犬のようだったとの印象を植え付けたらしい。
 あれから季節は巡り、親友には改めて感謝の手紙と、式に招待出来なかったことへの謝罪、そして本丸で慎ましく行われた結婚式の写真を添えた。


リクエスト:『嫉妬か過保護な豊前』ありがとうございました。

2021.05.02