あかいゆめ

 耳に届いたのは、パチパチという不思議な音。鍛刀のときによく耳にした、何かが燃える時の音だ。薄目を開くとそこは紅蓮の世界だった。
 轟音とともに、本丸の屋敷が火の海に包まれている。その光景を目の当たりにしながら私の身体は床に転がったまま動けないでいた。
 かろうじて目を開いて、ただ辺りが炎に包まれる光景を眺めるだけ。
──どうしてこんな事になったのだろう。
 いつもどおりの朝だった。急に本丸防衛システムの警告音が鳴り響いて、外に出ると夥しい程の時間遡行軍が本丸目掛けて結界を打ち破ろうとしていた。
 それから本丸が落ちるのにそう時間はかからなかった。短刀達が匿ってくれた地下隠し部屋で、必死に政府に応援を要請しても返答は得られなかった。既に政府が遡行軍の手に落ちたのか、見捨てられたのか。本丸の刀たちの気配が次々と消えてゆく中、私はただ祈る事しか出来なかった。
 あれから何時間が経過したのか検討もつかない。熱いのに、寒くてたまらない。このまま死ぬのだろうか。これはきっと刀剣男士たちをたくさん戦わせてきた報いだ。心の何処かでいつかこうなることを、薄々感じていたからだろう。それ程ショックは受けなかった。けれど刀達のことを思うと胸が張り裂けそうだ。



 上から自分を呼ぶ声が降り注いで、見上げるとそこには豊前の顔があった。頬は煤だらけで、衣服は血を浴びて真っ赤だ。ひどく疲労していて刀は今にも折れてしまいそうだった。

「……これは、夢?」

 声が掠れて、ほとんど言葉にならなかった。
 けれど意味は通じたようで、豊前は困ったような表情を浮かべていた。

「悪い夢だよ」

 豊前はそう言って、宥めるように私の頭を撫でた。触れる掌は大きくて優しい手付きだった。現実にはありえない光景なので、夢と言うには説得力がある。ずっと片想いをしていた相手の膝枕だなんて都合のいい夢なのだろうか。

「……眠ったままで良かったのに、何で起きちまうんだよ。まったく、運がねーよな」

 煙を多く吸い込んでしまったからだろうか。頭の中が不明瞭になって、豊前の言っている言葉の意味があまり理解できなかった。けれど、豊前が泣いている気がした。いつも笑顔を絶やさない豊前が泣くだなんて現実味がない。どうして悲しんでいるのかも状況が飲み込めない。
 大きな音がして近くの柱が崩れると、咄嗟に豊前が熱風を防いでくれた。ジャケットに火が燃え移って、それを投げると瞬く間に燃え炎の中に消えていった。
 火の手がすぐそばまで迫っている。
 けれど、逃げ場なんてどこにもない。
 普通に考えれば、人間である私は間違いなく命を落とすのだろう。けれど、刀剣男士の豊前ならばまだ望みはあるかもしれない。

「……豊前だけでも、逃げ……」

 豊前は、私の身体をぎゅっと抱き締めて、唇を重ねた。突然の事に驚く間もなく肺に空気を送り込まれた。徐々に景色が霞んで、表情さえもうまく焦点が合わなくなっていた。

「らしくねぇ、なんて思ってたせいで最期になっちまったけど……。好きだよ、。……もっと色んな場所に行って、色んな景色見せてやりたかったな」
「……?」
「でーじょーぶだよ。俺がついてっから」

 豊前は、何を言っているのだろう。もう声さえも聞こえない。でも、ようやく笑ってくれたから、安心する。
 一面の紅に囲まれて意識が遠のいてゆく。轟音と衝撃が襲った。もうすぐこの夢から覚めるのだろう。けれども、悪い夢ではなかった。


20200404