憐恋

 私には母親の記憶がない。私を産んで間もなく急病を患い亡くなってしまったのだと蜂須賀虎徹に聞かされたのは、たしか五つの時だ。そんな蜂須賀は審神者であった母親の初期刀。今は一線から退いてこの本丸を取りまとめている。彼女の本丸には数多くの刀が暮らしていた。突如主を失った彼らは、忘れ形見である娘の親代わりを引き受けた。刀たちの誰もがその時の事を語りたがらなかった。きっと当時は、思い出すのも辛くなるような絶望と混乱、葛藤があったのだろう。けれども、その時の彼らの決断のおかげで私は日々賑やかに暮らしている。
 両親や兄弟が居なくても、母親が残してくれた刀たちが居てくれたから孤独ではなかった。
 とりわけ大般若長光は本当の父親のように、いつの日も優しい眼差しで見守ってくれた。
 ───私は大般若の事が好きだ。
 成長するに従ってその意味は恋心へと移り変わっていった。そんな気持ちを打ち明けた事は無いけれど。一日も早く審神者となって、今は政府預かりであるこの本丸の正式な主になること。彼らにとって相応しい主になる事が私の夢だった。
 それから数年後、私の夢は叶う事となる。
 母親が審神者になった年齢よりも二年ほど遅れを取ってしまったけれど、これでみんなを刀の本分として扱うことが出来る。それが私にできる恩返しだ。
 政府の手続きを済ませて真っ直ぐ本丸に帰還すると、真っ先に大般若の元に向かった。真新しい審神者の制服に身を包んだ私を誰よりも先に見て欲しかった。一番近くで見守ってくれた、大好きなひとに。
 大般若は本丸の中庭に一人佇んでいた。桜が咲き乱れる日本庭園の池には、薄紅色の花筏が浮かんでいる。桜と同じ色のリボンで結ばれた銀髪が風に靡いている。その広い背中に向かって声を掛けた。

「大般若」

 私の姿を一目見るなり大般若は、心底驚いたような表情を浮かべた。

「これは見違えたなあ」

 そんな大般若の様子に喜んだのも束の間。紅い瞳を細めて微笑む大般若の表情は、ひどく寂しそうに見えた。
 いつも近くにいた彼の姿がまるで知らない男のひとのように見える。優しい瞳の奥に映るそのひとは、大般若を道づれにしたのだ。気付かなければどんなに幸せだっただろうか。