庭の木々の葉が燃えるような赤に染まる。
色付く紅葉。秋明菊、山茶花。金木犀に竜胆。
晩秋の季節は、出会った頃を思い出す。
──とはいっても、彼女は何一つ覚えていないだろう。
あの頃のは審神者で、俺は刀剣男士だった。
今のような、色鮮やかな秋に彼女の本丸に顕現された。その過去は誰かの記憶にも、記録にも残らない歴史だから。
仕事でが居ない家はがらんとしていて物悲しい。がこの家を訪れる前は一人でも平気だったというのに、慣れというのは恐ろしいものだ。
人間になってから感じる冬は、中々厳しいものだと気付いた。頬を掠める風が冷たく、身体中の傷口が疼く。
日に日に冬の足音を感じる。
やがて季節は死に、この庭は白に埋め尽くされてしまう。
「だいはんにゃー!」
木枯らしに負けない、元気な声が邸に響いた。
「やあ。変わりはないかい?」
玄関から縁側に顔を出したのは、対照的な大柄な青年と小柄な少年だった。この町にある駄菓子屋を営む跡取りと、その甥っ子だ。この町に住み始めてから何かと気にかけてくれている友人のような存在だが──。
(兄弟そっくりなんだよなぁ……)
体格がよく物腰の柔らかな短髪の青年と、生真面目そうで可愛らしい小学生。自分以外の刀剣男士であるはずがないのだが、この二人にはどうも親近感を覚える。
この町に住もうと思ったのは、この屋敷が本丸に似ていたからという理由の他ない。別れる前にが語った夢を叶えるために。いざ住んでみれば、この町では異質な存在に映ったようだ。そんな時に何かと手を貸してくれたのがこの二人だった。今日のようにふらりと訪れては何気ない談笑を交わしたり、時には食事を共にする仲だ。
「前にに頼まれていたレシピを持ってきたのだが……」
「ああ、そりゃすまないな」
小さな頭を振って、きょろきょろと当たりを見渡す。
「今日は、いないのか?」
「お仕事だよ。今週末には帰ってくる」
今日は水曜日だが、帰宅予定の土日がまだまだ遠い先の話だと思えてしまう。彼も日付を小さな手で指折り数えながら、そうかぁと寂しそうに俯き縁側に座った。
寂しそうに眉をひそめながら地につかない脚をぶらぶらとしている。その姿はまるで自分そのものの姿のようだった。
「そんなにが恋しいかい?」
意味が理解出来ないのか、自分の質問に小首を傾げた。
「こいしい?」
「好き?」
ようやく『恋しい』の意味が理解出来たようで、表情がぱあっと明るくなった。
「ああ、うん! も、だいはんにゃも、大好きなのだぞ。この町に来てくれて嬉しい!」
屈託のない満面の笑みで答えた。
「…………この子、貰ってもいいかい?」
「それは、人攫いの相談かい?」
◇◇◇
金曜日。
仕事が一段落して、庭の落ち葉を掃く事にした。
邸の維持にはなかなかの労力がかかる。掃き掃除や木々の剪定に草むしり。元々の持ち主が庭師に造らせた庭園は、暫く空き家だったために蜘蛛の巣は張り巡らされ、雑草が生い茂り荒れ放題だった。なんとか元の状態には戻したが、庭園自体にはなるべく手を加えないようにした。人の手が生み出した美しさを尊重したかったからだ。
身体を満足に動かせない自分の様子を見兼ねて近所の人々が手伝ってくれるようになり、そのお返しに骨董品の鑑定をするなどして、 近所付き合いが始まった事を思い出した。
あれから一年半が過ぎ、かつての姿を取り戻した庭は、美しい花を咲かせるようになった。
(ますます寂しくなってしまったんだったな)
すっかり綺麗になった庭園を見て、本丸に居た頃──隣にいた彼女の姿を思い出して、虚しさが襲った。美しいはずなのに、あの頃の景色に比べればまるで色がない。白黒の景色のようにも思えた。
──早く彼女を見つけなければ、と思った。
どんな手段を使ってでも。
そのためにここに居るのだから。
「大般若さん」
名前を呼ばれ、背後を振り向く。
「……?」
に逢いたいあまり、とうとう幻覚まで見えるようになってしまったらしい。スーツにコートを羽織ったがそこに居た。
脳裏に、初めて出会った時の光景が蘇る。この世でようやく逢えたに意地悪をした事を、今は少し悔いている。あの時向けられた恐怖と好奇心が入り交じった目は今でも忘れられない。
『私の事を知っているんですか?』
その言葉を受けて、一滴の墨が零れ落ちたように絶望が心に広がった。
やはり自分の事も、審神者だったことも、あの賑やかな本丸で過ごした愛しい日々も──過去の事は覚えていない。覚悟はしていたが、想像以上に堪えてしまった。
「……大般若さん? そんなにびっくりしました?」
薄桃色の山茶花が風に揺れた。今はスーツケースに土産袋を抱えて、こちらに向ける視線は綻ぶような笑顔だった。
「帰るのは明日じゃなかったのかい?」
「その予定だったんですけど……。頑張って早めに帰ってきました」
は照れくさそうに顔を赤らめた。
「……っふふ、そうかい。おいで」
「え」
手を差し出すと、は緊張の面持ちでこちらの様子を伺う。日頃の行いのせいで警戒しているのか、恐る恐る近付く。
そんなの手を引いて強引に抱き寄せた。
「な、?!」
「あんた、悪い男に掴まっちまったなぁ」
は小さくて、胸の中にすっぽりとおさまってしまう。初めは強ばらせていたの身体は、次第に力が抜けてゆく。
「……全くですね」
腕の中で少し不満そうに呟いた。仕事を早く終わらせてしまうほどに自分に逢いたかったのかと思うと、どうしようもなく嬉しさが込み上げた。
「俺も逢いたかったよ。──ずっと、待ち遠しかった」
もうすぐ冬が来る。
全て白に覆われても、彼女と共に眺める椿の庭は、次の季節も鮮やかに色付く。