廻る

 主が死んだのはあまりに突然の事だった。
 蒸し暑い夏の日で、普段賑やかな本丸はその日蝉の声だけが響いていた。
 死因は突然死。持病もなく、元気が取り柄だと日頃から言っていた主は眠ったまま死んでいた。
 いつもと変わらないいつもの朝の事だった。時間になっても起きてこない事に気付いた近侍の秋田が、部屋の布団の中で息を引き取っている事に気が付いたのだ。駆けつけた薬研が救命処置を施した。その頃にはもう冷たくなっていて、死後硬直も始まっていたという。人はいつか死ぬことはわかっていたけれど、誰もが想定すらしなかった、あまりにも呆気ない最期だった。
 付き合いの長い刀達は衝撃が大きく、取り乱す刀もいた。嘆く刀もいれば呆然と立ち尽くしたまま微動だにしない刀もいた。どうやら僕は後者に該当するようだ。まだ、主の死を受け入れることが出来ない。戦で死んだ人々のように苦しんだ様子もなく、今にも起きてきそうな顔をしているから。
 そんな刀たちをよそに、程なく到着した黒服を纏った政府の職員が現れた。主の死亡を確認すると、淡々と準備に取り掛かる。審神者が死亡したら葬式は行わずさっさと火葬するのが常らしい。遺骨は家族の元に届く事はなく、審神者共同墓地に埋葬される。その扱いは、用済みになった駒の焼却処分のようでいっそ清々しい。物を片付けるかのような扱いに衝撃を受けたまま、何も行動が起こせなかった。ただただ現実味が無かった。
 昨日まで笑って生きていたはずの『人』であったはずなのに、僕たちと同じ『物』になってしまったのか。

「──君」

 呼ばれて、僕は自分の行動に我に返る。

「そこに居られたら閉められないじゃないか」

 気付けば僕は、棺桶の中に眠る主のそばにいた。政府の職員が棺桶の蓋を持ったまま、迷惑そうにこちらを見下ろしている。窓のない白木の蓋を閉められたならもう二度と主の顔を見る事が出来ない。

「……まだ眠っているみたい、なのに」

 柔らかかった頬に手を差し伸べると、固くて、夏の盛りなのに冷たくて、まるで主によく似た人形のようだった。夏場は傷みが早いんだよ、と小言が聞こえた。気温が高いほど亡骸の腐敗が進む。防腐処理にもコストがかかる。だから、早く済ませたかったのか。合理的だと思う。その場に立ち上がり職員と対峙すると、僅かに後退った。

「な、なんだ」

 敵意を向けられたと勘違いしたのか、警戒する職員の手から棺の蓋を奪い取った。

「僕がやるよ。……だから、帰ってください」

 そうして僕は職員を帰らせると、主の亡骸は本丸に残された。主が死んでも本丸には主の霊力が満ちていた。だからこうして僕達の肉体は維持されているのだろう。僕はまず、主の身体を清めて一番気に入っていた着物を着せた。乱と加州が死化粧を施している間、本丸に植えてある花を摘んで棺の中に溢れそうなほど詰め込んだ。僕が育てた花たちも、まさか主の棺に納められることになるとは思わなかっただろう。
 今年の向日葵が一番に咲いたとき、喜んでいた主の表情が過ぎってその場に立ち尽くした。人の死なんてものは何度も見てきたはずなのに。その日は夜通しで、刀剣男士一振ずつ主に別れを告げた。

「主さん、綺麗だね」

 乱の言うとおり、棺に溢れんばかりの花に囲まれた主は綺麗だった。眠ったまま死んだのなら、きっと苦しむ事は無かったのだろう。穏やかでいつ目を覚ましてもおかしくないような、そんな寝顔だった。
 けれどその唇は二度と名前を呼んでくれる事はない。笑いかけてくれる事も。仕事が暇そうなときにからかって来ることも。いつの間にか僕は、主の身体を永久に保存する方法ばかりを考えていた。
(……僕らしくないな……)
 主を剥製にしたいだなんて、循環に反する愚かな思想だ。主の姿が失われるのはあまりにも惜しい。美しく散りゆく花に例えられた理由がよくわかる気がした。夜が明けるよりも前に、皆が寝ている頃に棺を荷車に乗せた。本丸の裏山のなるべく景色が綺麗な所を選んで墓穴を掘る。掘った穴の中に遺体を置き、土を被せて埋葬すると涙が溢れ出た。

「……あれ。……今更?」

 主が死んでから一度も泣けなかったのに、今になって涙が止まらない。拭っても拭っても、雨が降ったみたいに地面を濡らした。主が眠る土の上に、墓標変わりの桜の幼木を植える。この木が花開くときにはきっと、美しい花を付けてくれるだろう。

「──おやすみ、

 やがて、誰も居なくなった本丸には、美しい桜の木の下には朽ちた刀が埋められている。


20200404