「…………」

 空気が冷え込む師走の朝。
 ふと近侍の松井江を見上げると苦虫を噛み潰したような、不愉快そうな表情をしていた。

「何か、わからない事でもあった?」

 本丸の鍛刀場で、顕現してから初めて近侍の任に就く松井に刀剣男士顕現の儀式を説明している最中の出来事だった。
 出会って間もない間柄が、松井は戦の時以外感情を荒らげることはまずない。常日頃から仲間や私に対しては穏やかな微笑みを絶やさない松井が、珍しく顔を強ばらせている。
 まるで戦に赴く時のような殺気を感じた。
 その理由に心当たりがなく私はただ戸惑った。
 鍛刀場の妖精さん達も松井の様子を見て、私と同様に不思議そうに顔を覗き込んでいる。
 何か自分の知らないうちに失言でもしてしまっただろうか──。
 自分の発言を省みる私の左手に松井の手が触れて、持ち上げた。
 私の人差し指には出来たばかりの傷があり、小さな瘡蓋になっている。指先は無数の傷跡に覆われていて指紋も不鮮明になっていた。

「医務室に行こう」

 松井の低い声が沈黙を破る。

「え? いいよ」
「いいから」

 松井は強引に私の手を引いて、本丸の母屋へと向かった。

 審神者の仕事道具のひとつに、小さな針がある。
 私の血を採取するためのものだ。
 刀剣男士の顕現に必要なものは、玉鋼と冷却水、木炭と砥石。それから、審神者の血。
 人差し指に小さな針を刺して札に血判を押す。量が僅かでもその血に宿る霊力を媒介し、それが刀剣男士の血肉となる。
 顕現の儀式は本丸によって異なる。これは、私が審神者となりこの本丸立ち上げの頃から毎日幾度となく繰り返してきた儀式だ。
 刀剣男士を顕現させて敵地に送る。──それが仕事だ。

 誰もいない朝の医務室は冷え冷えとして、薬草とアルコールの入り交じった匂いが充満している。
 本来刀剣男士の傷の手当は手入れ部屋があるため不必要だが、ここは本丸で負った軽傷の応急処置や、審神者のための万が一の救護室という役割もある。滅多に立ち寄らない場所だ。
 時折薬研と桑名が薬を調合しているため、東洋西洋問わず様々な器具が揃えられていた。
 医務室に着いても松井は何も言わず、ターコイズブルーの爪が綺麗な指先で私の傷跡に触れている。

「…………」

 お世辞にも綺麗とは言えない傷だらけの手指を、大事なもののように扱われている。
 誰も、自分すらも気に留めなかった痕を見つめる瞳の色は、悲哀と僅かな怒りを孕んでいた。

(私の手。こんなに傷だらけだったんだ)

 松井に触れられるまで無自覚だった。
 自分が自分の手でたくさんの血を流してきたことに。

 2022.--.--