賑やかな夕食が終わり、本丸の男士が大広間から自室へと戻る。廊下から聞こえる賑やかな声の中に、聞き慣れた足音が部屋の前に響く。
「松井、大丈夫? 今日朝から何も食べてないって、篭手切に聞いたよ」
この本丸の主であるは僕の部屋を訪ねてきた。
今日の夕餉は桑名が収穫した初物の野菜や、皆が山から採ってきた栗や茸が食卓に並んだらしい。とにかく美味しかったのだと一生懸命に伝えようとする身振り手振りが愛おしい。
愛おしいが故に、僕の中の罪悪感は膨れ上がる。
彼女や仲間に心配をかけるつもりはなく、誰にも悟られないように部屋に籠っていたが──知られてしまっては仕方がない。
文机に向かっていた身体を向き直すと、主は不安げな顔付きでこちらを見ていた。
「何でもないんだ」
「嘘」
笑顔で誤魔化そうとしても彼女には逆効果だった。ますます眉間に皺を寄せて、ずずいっと膝を突き合わせる。
「何かあったの?」
真っ直ぐに向けられる彼女の視線が痛いほどに突き刺さる。
「すまない。……酷い夢を見てね、食欲がないんだ」
「どんな夢?」
「…………」
「無理に話せとは言わないけれど……」
「……不愉快な話だよ」
「何も食べられなくなるほど?」
彼女に打ち明けるか、否か。
もし逆の立場ならば僕は彼女と同じ事をしただろう。僕と彼女は、喜びも悲しみも分かち合うと誓ったのだから。
愛しい存在が表情を曇らせる理由を知りたい。
きっと主もそう思ってくれている。
胸の内に溜まった鉛を吐き出すように悪夢の内容を打ち明けた。
「──僕が、あなたを食べる夢だった」
「あなたの血を吸って、全て啜り尽くして、皮膚を暴いて、まだ温かいままの心臓を取り出して、口にした」
「そうしたら、あなたが動かなくなってしまったんだ。僕の腕の中で、血塗れになって、息をしていなかった」
──口にするのも悍ましい話だ。
どうして僕はあんな夢を見てしまったのだろう。
目覚めた時は生きた心地がしなかった。口元には彼女の肉を味わった感覚が生々しく残っていたから。布団から飛び起きて、寝間着姿のまま母屋まで走って、物陰から元気な姿を一目見た途端、全身の力が抜けていくように安堵した。誰にも話すつもりはなかったのに、まさか本人に打ち明けるだなんて思いもしなかった状況だ。
「こんな話を聞かされて、あなたも不愉快だろう」
──血を見ると、身体中の血が沸騰するように力が沸いてくる。
ただ目の前の敵の血を流す以外の事を考えられなくなって、形振り構わず刀を振るう。それが僕の戦い方で、武器である僕のあるべき姿。
いつか、我を忘れた僕が彼女の血を流してしまう日が来るのではないか。
彼女の血を目の当たりにした僕が平常心を保てる自信が無い。あの夢のように血を味わって、──彼女の身体を、肉を貪ってしまう日が来るのではないか。あの悪夢はきっと、そんな不安の表れなのだ。
きっと呆れられてしまっただろう。主の命を奪う夢を見る刀など、彼女の傍に居ていいはずがない。刀剣男士失格と言われても反論の余地は無い。
「松井に食べられるなら、いいよ」
「……え?」
思わぬ回答に僕は絶句した。
僕の言葉に呆れるどころか全く動じないその姿は、夢の中の彼女の姿と重なった。
そうして思い出した。夢の中の彼女もまた──僕に食べられている間全くの無抵抗だった事を。
「それで、美味しかったの? 私の心臓は」
まさか味の感想まで求められるとは思わず面食らってしまった。しかし主は興味津々に僕の答えを待っている。
「いや……味覚まではわからなかったよ。ただ夢中で、貪っていたから。卑しい獣のようにね」
僕はいったい、彼女に何の話をしているのだろう。これでは彼女を食らう願望があると暴露しているようなものだ。今更になって気恥しさが込み上げて、俯く僕に彼女は声をかけた。
「松井。審神者って、死んだらどうなると思う」
唐突な質問だった。
何も言えない僕に彼女は穏やかな表情のまま話を続けた。
「何も残らないの。骨も、お墓も。遺品も、名前も全部ね。後々、何か一つでも時間遡行軍に悪用されたら困るでしょ?」
「…………」
「だから最期は、好きな人とひとつになるのも悪くないのかも。……なんてね」
「……食べないよ、僕は」
あんな夢を見てしまったけれど、何があろうとも僕は主の血を流したくはない。
真っ直ぐに反論する僕を揶揄うように、主はくすくすと笑みを漏らした。
「うん。もしもの時は、松井に任せるよ」
重苦しい空気を吹き飛ばすようにそう告げて、去り際に『夕食、食べたくなったら厨にあるからね』と伝えると主は何事も無かったような素振りでその場を後にした。
きっと、あの言葉は夢や冗談ではないのだろう。