「ピアスを開けようと思って」
真夏の昼下がり、休憩部屋で扇風機の風を浴びながらそう口にした。食台の真正面に座る僕は彼女の発言を耳にして、小豆長光が用意してくれた氷菓の味がわからなくなってしまった。
耳飾りを身に付けるために、身体に穴を開ける。それは人間にとって特別なことではないのかもしれない。その光景を想像して、僕の眉間には無意識に皺が寄ってゆく。
日々審神者としての任務に追われる彼女も年頃の女性だ。年齢相応のお洒落を楽しみたい気持ちはわかる。
「……あなたがそうしたいのなら、良いんじゃないかな」
彼女の所有物の一つに過ぎない僕には、持ち主の願いを否定する権利はない。
は険しい表情を浮かべる僕の前に、手のひらに収まる大きさの物体を置いた。『ピアッサー』と書かれた包装には、簡単な使用方法が書かれている。こんな物を僕の目の前に置いていったい何のつもりだろうか。
「本当にそう思ってる?」
僕の心に渦巻く不愉快な感情は、彼女に伝わっているようだ。
「…………僕は、」
「うん」
「あなたの身体を傷付ける『物』を、許せそうにない」
物には、役割がある。
刀剣男士として顕現した僕の責務は、一滴でも多く敵の血を流すこと。この本丸に居る仲間と、何よりも彼女を守るためにここに在る。
そんな僕が、彼女の身体を傷付けるための道具に敵愾心を向けられずにはいられない。
「松井にやって欲しいの」
「……僕の話、聞いていた?」
「大丈夫。一瞬で終わるって」
「そういう問題ではなくて──」
は僕の隣に座りなおすと、どこからか用意していた消毒液を右耳に塗布し始めた。今ここで実行に移すつもりらしい。
「痛いだろう」
「多分ね」
「血が出るんじゃないか?」
「どうかなあ」
「……僕よりも、薬研にお願いした方がいいだろう」
医術の知識がある薬研ならばきっと上手くいくはずだ。万が一の手当も手際よくこなすだろう。
刺すことなら誰にも負けないと豪語する御手杵も適任かもしれない。しかし彼女は僕の提案に首を縦に振らなかった。
「ううん。松井がいい」
わざわざ僕を使って主の身体に穴を開けさせるだなんて、いったいどういうつもりなのだろうか。
彼女を傷付けるくらいなら、いっそ腹を切って果てた方がずっとましだ。そんな僕の想いは彼女も理解しているはずだというのに。主からの任命に応える他ない。
包装を開封して、僕にとっては複雑極まりないその道具を手にした。小さくて鋭い針の先端をじっと見つめる。これから先の未来を想像すれば心の奥底から怒りが沸き上がり。今すぐに壊してしまいたくなる衝動に駆られるが、これもまた僕と同じ主の所有物だ。
の方を向けば準備は整っているらしく、瞼を閉じて待機している。
「本当にやるのかい?」
「うん。一生残るくらい、ちゃんとやってね」
情けないほどに臆病な僕とは対照的に、彼女の表情は期待に満ちている。
僕は意を決して、傷一つない彼女の耳に針の先端を当てた。
──それから十分後。
手に残る感触に罪悪感を抱える僕の隣では、満足気に手鏡を眺める主の姿がある。
貫通してしまった耳朶には、赤くなった皮膚に僕の瞳と同じ色の耳飾りが輝いていた。