松井の様子がおかしい

「それなら僕は……豊前と主の子供が欲しいな」

 松井江の口から齎された言葉に、私と篭手切江はほぼ同時に緑茶を吹き出した。隣にいた桑名はうわあ、と驚きの声を上げながらとっさに卓上にあった菓子類を退けてくれた。おかげで水浸しにはならなかったが、せっかく淹れたのにとぶつぶつ愚痴をこぼしている。茶が気管やら鼻やらに入ったようでしばらく咳き込んで誤魔化しつつ、状況を把握する。
 私の聞き間違いでなければ松井は、『私と豊前の子供が欲しい』と発言した。やはり何かの間違いだろうと思ったが、隣にいる籠手切も身体を震わせてひどく動揺しているので空耳ではないようだ。

「ま、松井さん、いきなりどうしたんですか?」

 動揺する二人をよそに、松井は動じずに、向かい合う豊前はただじっと松井の動向を見守っている。

「そのままの意味だよ。きっと二人に似て可愛いだろうね」

 少女のような相貌から発せられる爆弾発言に、辺りは神妙な空気に包まれた。

「な、なんの話?!」

 そもそも、私と豊前はそういう仲ではない。
──と言うか、私が一方的に片思いをしているだけで、豊前本人は全くその気がないし叶わぬ恋と言う事は理解していた。もちろん松井にも、誰にも言ったことのない私の気持ちに気付いていたのだろうか。それにしては順序を飛び越え過ぎだ。
 本丸憩いの場である居間に集まったのはつい十分前。内番が一段落した江の皆と和やかにお茶を一服していた。松井がまもなく誉百回を迎えるにあたり、本丸から贈与される記念品について話をしていたはずだ。

「どうして、松井の欲しいものがそれになるの?」

 桑名が卓を拭きながら直球の質問を投げる。
 松井は目を閉じて、深く思考を巡らせた。

「……欲しいもの、と言われたら豊前と主の子供以外思い付かなかったよ」
「無茶すぎますよ松井さん……。そんな、りいだあと主さんの、こ、こどもなんて、そう簡単に……」

 篭手切の言葉に同調して思わず首を縦に振りまくる。ふと、審神者の先輩の子供が「わたし、妹がほしい!」と無邪気にねだる姿が脳裏によぎった。質問内容に私は思わずギョッとしたが、先輩夫婦はその願いを上手くかわしていた。先日二人目に恵まれたと報告を受けたばかりだ。しかし、経験値の低い私にはこういう時どう答えれば良いかわからない。からかっているようには見えないし、それが松井の願いならば真摯に答えなければならないが、全身から変な汗が滲み出る。
 ふと、豊前と視線が重なった。一応『りいだあ』なので上手くこの場を収めてくれるだろう。アイコンタクトを豊前はそれに答えるように頷くと、沈黙を破り、ようやく口を開いた。

「俺はいーけど?」

 豊前の回答を聞いた私は、その場に卒倒しそうになった。

「りーだー!!!そういうことは!!主と!!よく話し合ってから!!!」

 篭手切は顔を真っ赤にしながら豊前を揺さぶった。
 ──豊前を甘くみていた。
 そうだ、江の刀は一見普通そうに見えてド天然爆発男士しかいないのだ。この場を収めてくれると期待していた自分が浅はかだった。もう、穴があったら入りたい。目の前が暗転して、私の意識は遠のいていった。

「あっ主?! 気絶してる!!」
「もう、なんなんこれ……」

 一部始終を静観していた桑名は唇を引つらせていた。

◇◇◇

 ──夢を見た。昼下りの私室で、誰かの膝で眠る夢だ。自分の願望が現れてしまったような、そんな春の幻。それにしてはやけにリアルな質感を持っていた。ぼんやりと霞む視界のなかに精悍な顔立ちが現れる。豊前江が少し不安そうに私の顔を覗き込んでいる。

「お、起きたか」
「……」

 ──夢じゃなかった。

「まだ、具合悪いか? 顔赤いぞ?」
「全然。もう全然全然。大丈夫だから」

 この体勢は物凄く心臓に悪い。否応なく目が覚めた私は、素早く豊前の膝枕から起き上がろうとする。しかし、『あー!まだ横になってろ』と豊前に静止され、元に戻された。豊前から微かに機械油の香りがする。誉百回記念で獲得したバイクを念入りに手入れしているからだろう。

「うーん……熱はねーよなぁ」
「…………」

 額に豊前の手のひらを載せられる。これは拷問か何かだろうか。己の行動の過激さを全くわかっていない豊前を恨んだ。

「一応薬研にも見てもらったけどよ、鉄なんちゃら貧血?なんだろ。よくわかんねーけど鉄が足りねーなら俺でも齧っとくか?」
「気持ちだけ受け取っておく……」

 確かに豊前江の主成分は鉄に違いないが、豊前が提案するその光景はあまりに狂気じみていると思った。

「……さっきは悪かったな」
「謝らなくていいよ……ただの貧血」

 頭を下げる豊前を見たくなくて、謝罪を受け取ることはできなかった。先程の松井の発言は、かなり突飛ではあるものの、私をからかって発言したわけではないという事はわかる。本気の目をしていたから。
 彼らはモノであって、人間的な情緒が未成熟な面がある。だからと言って主である私からそれを正したり教育するつもりはない。彼らは刀なのだから、人の感性に矯正される必要は無い。ただ、それが本丸で共同生活する上で良くない傾向ならば少し注意するくらいで。

「篭手切に叱られちまってな。『あんまり主さんに過激な事をいうと、今度は貧血や鼻血どころではすみませんよ』っていわれたんだけど。……なあ、本当に大丈夫か?」

 さすが脇差。心の中で涙を流しながら籠手切に感謝した。篭手切の指導の甲斐あって、まるで腫れ物に触るかのような豊前の態度がなかなか新鮮に感じられた。

「まあ、ちょっとびっくりしたけど……。本気なんでしょ?」
「……俺も松井に聞いた。どうして、んな考えになったんだって。そしたら、なんち言ったと思う?」

 私は予想がつかなくて、首を横に振った。すると豊前は、今まで見たことのない、複雑そうな顔をしていて思わずドキッとしてしまった。

「──『いつか二人が居なくなるのが耐えられないと思うから、僕に何か遺して欲しい』だと」
 豊前の言葉を聞いて、それまで咀嚼できなかっ
たものが、すとんと腑に落ちる感覚を覚えた。

「……遺す……」

 豊前江がこの本丸に顕現したときの、こんのすけの言葉を思い出す。
 今、本体が所在不明である豊前は、実在している刀よりもその存在が危ういと言うこと。今後人々の記憶から忘れ去られてしまったならば、憑喪神としての存在すらも消えてしまいかねないのだと。松井も不安に思っていたのだろう。
 ──豊前が、いつか消えるかもしれない。
 そんな想像をしたら、思わず目頭が熱くなった。松井は豊前を信頼していて『理解者』だと言っているし、自分にとって唯一無二の存在を失ったらと思うと悲しくなってくる。

「泣くほど嫌やった?」
「……違う。……松井の言い分ははわかった。……私も、豊前と松井が居なくなったら嫌だから。ちょっと想像しただけ」
「俺? 消えねーよ。んな事いったら、あんたが……」
「私が?」
「……あんたの生きるスピードの方が、速いだろ。 俺らなんかよりもずっと」

 ──言われてみれば、豊前よりも自分の方が先にこの世から居なくなる。指摘されて始めて気が付いた。
 人間である私は、刀剣男士よりも永くこの世に有り続けることはできない。ましてや、歴史に名を残すこともない審神者の中の一人。三人のうち一番最初に存在が消えるのは自分自身。松井は、自分たちの存在がいつか失われる事を危惧していたのだ。
(それにしても、突飛すぎるよ松井……)
 先輩の中には審神者同士で結婚している人や刀剣男士と結ばれた人はそれなりに居て、子供を持つことも不可能ではない。とはいえ、

「……私、」
「わかってんよ。松井は多少思いつめる所があるけど、あんたに無理強いはしねーよ。嫌ならはっきり断ったら納得するだろ」

 私の言いたいことを察した豊前はにかっと笑う。
 豊前の言うとおり、松井の言う無理難題なんて断ってしまえばいいのだ。けれど、胸がチクリと痛んだ。本音は嫌だなんて否定したくない、そんな未練がましい思いに苛まれているだなんて、豊前は気付いていないのだろう。
 私は豊前の膝からゆっくりと起き上がって身なりを整えた。

「……松井と話してくる」
「おお、行ってきな」
「膝、貸してくれてありがとう」
「ははっ。膝くらい、いつでも貸してやんよ」

 本当に豊前はタチが悪い。という暴言は心の中にしまって、襖を開けて自室を後にした。

◇◇◇

 どれくらい気絶していたのだろう。廊下に出ると、夕焼けの空に涼やかな風が拭いていた。松井の部屋に赴くと、文机の前に坐る松井の後ろ姿はいつもより小さく見えた。篭手切に注意されたせいだろうか。彼の名前を呼ぶと今までになく悄気げた顔付きをしていた。

「主。さっきは──」
「私、長生きするからね」

松井の謝罪を遮って、私はそう宣言した。限りある命を、審神者業に尽くす。それが私が松井にしてあげられることだ。
「この先もずっと、松井の主で居られるように努力するから。……で、誉百回の記念品は、別のものにしてくれるかなぁ……なんて」

 言ってる途中でなんだか気恥ずかしくなって、つい笑って誤魔化した。

「……記念品なんて、いいよ。貴女のその言葉だけで嬉しい。鼻血が出そうなくらいにね」

 そう言って松井は、まるで花が綻ぶように微笑む。ふわりと抱きしめられて、松井の体温に包まれた。脈打つ心音が聞こえると、なんだか落ち着く。
(不安だったんだろうな……)
 これは自惚れなのだろうが、加州風に言えば、私は松井に『愛されてる』のだろう。信頼してくれていると言う事は審神者冥利に尽きるけれど。松井の愛の重さを知れたような気がした。

「僕も主と永く一緒に居られるように、努力する」
「うん。……心強いよ」

 松井は時折、幼い子供みたいな所がある。打刀が三兄弟なら豊前が長男で松井は三男坊だと思えば少し微笑ましいと思う。これは母性というヤツなのだろうか。

「……大丈夫。いつかきっと、寿命なんてものを無くしてみせるから」
「……………………………え……?」

 松井は恍惚の表情を浮かべ、文机の上にはどこからか調達した怪しげな本が積まれていた。振り出しに戻る。


20200320