紅の花吹雪

「もういいよ、松井」

 背中に背負った主に制止されて、松井は足を止めた。足元の雪道にはぽたぽたと紅い雫が落ちる。振り返れば足跡とともに点々と紅い印が落ちていた。その紅は、主の腹から滴り落ちている。身に纏う白の寝間着を赤黒く染めて、まるで薔薇の花の模様のようだ。

「けれど、」

 ふと見上げると、立ち止まったその場所は、いつの日か花見の宴会を催した場所だ。真冬の今は花のない枝だけの桜が寂しく聳えて、まもなく訪れる春の訪れを待ちわびている。小高い丘から本丸を望むこの場所で催された花見がとても楽しかった思い出が蘇ってが胸が痛んだ。
 今、この場所から見下ろす光景は地獄だ。あちこちで火の手が上がっていて、刀を交える金属音が響いている。時間遡行軍による襲撃を受け、敵と交戦しながら主の寝所に駆けつけた頃にはこの有様だった。主の枕元には刀が二本折れていた。一つは敵で、一つは仲間だった。身を呈して敵を討ったのだろう。仲間を悼む間もなく、隠し通路を使ってどうにか本丸を脱出する事は出来たが、時間転移に用いるゲートは敵の手に落ちて、人気のない裏山に身を潜めるしか道はない。

「最期は、ここがいい。ね、松井」
「…………」

 持ち主の願いとあっては、無下には出来ない。主をゆっくりと下ろすと、肌は血の気を失って蒼白としている。木に寄りかかる主の腹を押さえて止血したが、血は止まる気配がない。

「……、寒くはない?」

 敵のものか、主のものか、それとも僕のものか。血がこびり付いた手で頬を撫でると、かすかに温もりが伝わった。

「うん。もう、感覚ないから」

 笑顔が崩れて激しく喀血すると、ブラウスと真白の雪に血飛沫が飛んだ。喘鳴が聞こえる。きっと肺をやられたのだろう。苦しいはずなのに、必死で笑おうとしていた。

「ごめんね。松井も、いっぱい傷付いたのに、直してあげられない」
「謝らないで。──血を流すのは、僕だけで良かったのに。すまない……。貴女を守れなかった」

 主を守ると、血を流させないと誓った。それを果たせなかった自分を許せない。こうなったのも、血に濡れた刀である僕の因果なのだろうか。

「そんな事ないよ。みんなのおかげで、私の首はまだ繋がってる。──最期に松井が居てくれて、良かった」

 弱々しく笑いながら告げるそれが別れの挨拶だと、理解したくない。

「ね……最期だから、我儘……言ってもいい?」
「……何?」
「私ね、ここに、松井が欲しい」

 そう言って主は自らの心臓を指さした。必死に笑顔を取り繕ってはいるが、それとは逆に苦しさが伝わってくる。主の命は既に限界を越えている。それでも必死に僕に語ったのだ。──最後の願いを。

「……わかったよ」

 鞘から刀を抜いて敵の血にまみれた刃を雪で清めた。今が雪の季節で良かったと、心から思う。僕の本体は損傷が激しく、次に振るえば間違いなく折れるだろう。
 本当は主の身体に傷を付ける事も血を流させることもしたくはない。けれど、最期に主が僕を必要としてくれるならば、刀として最上の幸せだ。

「貴女に捧げるよ」

 目を閉じて祈る主の胸に切っ先を突き立てると、紅い花吹雪が舞った。



20200404